アレモ コレモ ヨミタイ

読んだ本のことを書いたり書かなかったり

満州暴走隠された構造 : 大豆・満鉄・総力戦 / 安冨歩

 以前上司だった女性から、「あなたのその自信なさげなところだけが心配。つけこんでくる人は必ずいるからね。」と言われたことがあった。当時は何のことだかまったくわからなかったのだが、あれから15年近くを経る間に起こった、人間関係における不愉快な出来事の数々を思い起こすと、ほぼ全てがここに帰結しているのではないだろうか、そう考えることで何かパズルのピースが一つはまったような感じがした。残念なことだが、人間というものは、互いに搾取し合うようにできている部分が少なからずある、と私は思っている。自分よりも弱いヤツを無意識にいつも探している弱い人間というのは、必ずいるもので、特に組織という単位で見れば、その中には必ず一定数いる。そして、その餌食になるのが自信なさげな私だったというわけだ。テキトーにあしらっておけばよさそうなものなのだが、なにぶんこちらは自信がないので、相手が立ち上がれなくなるまで叩きのめす構えを見せてしまうのである。また向かって来られたら怖いやん。その点では怖いもの知らずである。そんなわけで、自分より弱いと思って攻撃してきた弱い相手は激昂したり、仕返しをしようとしてきたりするのが大概である。これでずいぶんイヤな思いをしてきた、と、自分では思っている。

 こんなことを話しても、考えすぎだよ、とか、そんなはずないって、という人が大半だと思われたので、誰にも話すことなく、で、まあ例によってこんなところに書き散らしているわけなのだが、そんな「自信なさげな私」の根本原因は母親にあると思っている。他所のお母さんというものについては、私はよく知らないという前提なのだが、母娘の間柄における母親というものは総じて娘に対して支配的で、娘というものは母親の所有物であり、独立した人間などではない、というのが普通なんだろうと思っていた。ところが、最近流行りの毒親とか、ハラスメントといった事物について見聞きするうちに、これまさに自分の親のことなんじゃないか、と考えるようになった。特に安冨先生の書かれたものやインターネット上の動画での言説に触れるなかで、母親との関係に問題があったのだろうな、と言う予想はついていたので、どの部分が問題だったんだろうか、としばらく悩んでいたのだが、本書を読み終わってはたと頭に浮かんだワードは、単なるいじめ。我ながらくだらねぇ結論だった。なんだ、私は母親にいじめられていたのか。母もまた、弱い人間だったのだ。拍子抜けしたが、同時にスッキリもした。念のため断っておくが、上記内容は例のごとく、本書の内容とは全くと言っていいほど関係がない。

 閑話休題、以前の勤務先の一斉メールで、安冨歩教授の授業がMOOCで配信されているようだが視聴したり拡散したりしないように、とのお達しがあった。特に理由は説明されていなかったのだが、時流に乗ってるし別にええやん、しかもMOOC使うなんてなかなかアツいな!とその瞬間は思ったものだ。しばらくして、でもそうか、授業は大学にとっては売り物か、じゃあしょうがないか、と、ひとまずそこで考えるのは終わりになった。しばらくのちに、そこかしこでお名前を見かけるようになって、あ、授業の動画をアップして怒られてた先生だ、と思い、追いかけるようになって、今ここ、というわけだ。で、本書のあとがきでは、このMOOCの件に少し触れられている。私が呑気に別にええやん、から、まぁしゃあないか、と下等な思考を巡らせている間、当事者の先生方は、それなりのダメージを食らっていたのだということに気づかされ、妙なところで過去に思いをはせることになってしまった。